Valeria Trifa

出自宅犬維基
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 37歳のルーマニア正教会司祭のヴァレリアン・トリファは1950年7月、イタリアからアメリカに移住した。  野心家である彼は、その後わずか2年でデトロイトの司教の座を手に入れた。  しかし彼の不遜な態度がやがて告発者をまねき寄せた。告発の内容は、トリファ司教が戦時中のルーマニアにおいてナチ支持者であっただけでなく、1941年のブカレストでのユダヤ人虐殺の指導者であるというものだった。

 1975年、アメリカ司法局は、トリファが市民権を得るにあたって偽証した可能性があると考え、調査をはじめたが、その頃トリファは大司教の地位にまで昇っていたので、むざむざ政府からの圧力に屈する気はなかった。  1980年、ついに市民権を剥奪されたときも、彼は憤然として疑惑を否定した。

 しかし1984年、トリファがナチ親衛隊長ヒムラーに宛てて書いた絵葉書が発見され、そこに残っていた指紋が現在の大司教のものと完全に一致したことから、ついに40年にわたるトリファの嘘は暴かれることになった。  1941年のユダヤ人虐殺とは、ルーマニアのナチ親衛隊である鉄衛団がブカレストのユダヤ人居住区を襲い、住民を皆殺しにし、すべてを破壊し、焼き尽くした事件を指す。狂気の殺戮は約3日間つづき、約6000人が屍となって転がった。  鉄衛団は犠牲者を市営屠殺場へ引きずっていき、彼らを裸にして『おまえらの教義にかなったやり方で殺してやろう』と言うと、ユダヤ教徒が家畜を屠るのに用いている伝統的な方法を真似て、彼らの首をかき切った。この方法で200人以上のユダヤ人が命を絶たれた。  この大虐殺の指導者のひとりが、他ならぬトリファ大司教だったのである。

 1984年、ヴァレリアン・トリファは合衆国を離れ、そのまま2度と戻らなかった。